宇宙開拓史
人類が本格的に宇宙進出をはじめて半世紀以上。
今や人類は太陽系外縁天体まで探査の手を伸ばし、今後は有人の月面基地開発や火星へ人類を送る計画も具体化しています。
そんな、これまでの人類の宇宙開拓の歴史ってどんなモノだったのでしょうか?
ここでは、人類が宇宙へ進出した歴史的瞬間を収めた映像を中心に簡単に紹介したいと思います。

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【1957年10月】人類初の人工衛星打ち上げ成功

人類の記念すべき宇宙進出第一号は、旧ソ連が打ち上げに成功した人工衛星「スプートニク1号」。
この人類初の人工衛星は非常に小型で、直径58センチのアルミニウム製の球体の本体に2.4メートルのアンテナが4本付いており重さは約80キロで、機能も非常に原始的で衛星の温度を地上に発信するというモノ。
この衛星は、近地点215キロ、遠地点939キロの楕円軌道で92日間、地球を周回し最後は大気圏に再突入し燃え尽きました。
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「Image Credit:人類初の人工衛星「スプートニク1号」(Wikipediaより)」
当時、大国、旧ソ連とアメリカは冷戦状態で、どちらの国が宇宙開発のリーダーか?を争っている状態もあり、ソ連に先を越されたアメリカはショックを受け急ピッチで開発を進めます。
その結果、ソ連に遅れること約3カ月~1958年1月31日。アメリカ初の人工衛星「エクスプローラー1号」の打ち上げに成功します。

「Image Credit:アメリカ初の人工衛星「エクスプローラー1号」(JAXA 宇宙情報センターより)」

【1957年11月】有人宇宙飛行の前に行われた動物実験

初の人工衛星打ち上げ成功の後、次はいかに人類を宇宙に送るか?に焦点が絞られて来ます。
しかし、いきなり人間を宇宙船に乗せるワケには行きませんので、その前に動物で実験を行うことになります。
その際、旧ソ連が実験に使った動物が「犬」。
1957年11月3日。地球に帰還能力の無い宇宙船・スプートニク2号に乗せられた「ライカ」という名前のこの犬が地球軌道を周回した最初の生きた動物となりました。
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「Image Credit:初めて地球を周回した動物「ライカ」(http://spacesite.biz/ussrspace.dog_raika.htm)」
しかし、人類の宇宙開発で犠牲になった動物は「ライカ」だけではありません。
1949~1960年代にかけて、アメリカはサルを乗せたロケットを何度も打ち上げ、そのほとんどが生きて帰還することがありませんでした。
他、犬やサル以外でもハエやネズミなども実験動物として利用されています。

【1961年4月】人類初の有人宇宙飛行成功

人類初の有人宇宙飛行に成功したのは、またしても旧ソ連でした。1人乗りの宇宙船「ボストーク1号」に搭乗したソ連の軍人ユーリィ・ガガーリンは、弾道飛行で最高高度327キロまで到達。地球を1周して無事帰還しています。
なお、このときの飛行時間はわずか1時間48分だったという事です。
ちなみに、ガガーリン氏が人類初の宇宙飛行士に選ばれた理由。
それは、彼が優秀な軍人であったことはもちろんのことですが、ボストーク1号の船内は非常に狭く身長の高い人が乗るのは難しかったため、157センチという小柄だったガガーリン氏が選ばれ、また彼のファーストネーム「ユーリィ」が、当時のソ連男性に多い名前であったこともあり、国を象徴する名前として彼が選ばれたと理由の1つという逸話もあります。
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「Image Credit:世界初の有人飛行船「ボストーク1号」(JAXA 宇宙情報センターより)」
なおアメリカは、ボストーク1号の打ち上げ成功の3週間後に、アラン・B・シェパード飛行士がマーキュリー宇宙船に搭乗し同じく弾道飛行で宇宙に行っています。
ちなみに弾道飛行ではなく、地球の周回軌道に乗る軌道飛行をはじめて成功させたのはアメリカ。1962年2月にジョン・H・グレン飛行士が地球3周に成功しています。

【1963年6月】女性初の宇宙飛行士もソ連

人類の宇宙進出初期は、アメリカよりも旧ソ連が先行しており、女性初の宇宙飛行士もまたソ連で、ワレンチナ・V・テレシコワ氏が、1963年6月16日にボストーク6号に搭乗し地球を48周しています。
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「Image Credit:史上初の女性宇宙飛行士・テレシコワ(Photo: RIA Novosti)」
ちなみに、彼女が宇宙に行って最初に言ったとされる「私はカモメ!」という名言。
これは「チャイカ(かもめの意味)」という彼女のコールサインであり、この言葉を彼女が地上との事務的な交信のためで発したモノで、それが誤って紹介され彼女の代名詞として伝わったものとされています。
また、ガガーリン飛行士が発した有名な言葉「地球は青かった!」も実際には発していないようです。
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【1965年3月】人類初の船外活動(宇宙遊泳)成功

人類初の宇宙遊泳に成功したのも旧ソ連。
1965年3月18日。2人の宇宙飛行士を乗せたボスホート2号は地球周回軌道上に到達。
ボスポート宇宙船に取り付けられたエアロックから、アレクセイ・レオーノフ宇宙飛行士は、人類で初めて船外へ出て約12分間の宇宙遊泳を行っています。
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「Image Credit:Wikipedia」
なお、アメリカ初の宇宙遊泳成功は1965年6月3日。またしても約3カ月遅れでジェミニ4号で宇宙に行ったエドワード・ホワイト飛行士。
こちらも映像記録が公開されています。

「Copyright ©:Smithsonian National Air and Space Museum All rights reserved.」

【1965年12月】世界初のランデブー飛行に成功

旧ソ連とアメリカの宇宙開発競争。ここで、ようやくアメリカが優位に立つことになります。
マーキュリー計画に続きジェミニ計画をスタートさせていたアメリカは、1965年12月にジェミニ6号と7号を打ち上げ、このときに宇宙での宇宙船の軌道変更に成功し6号と7号が並走して飛ぶというランデブー飛行に成功しています。
このとき、宇宙船同士の距離は最短で約30センチまで接近したとの事です。
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「Image Credit:世界初のランデブー飛行(JAXA宇宙情報センター)より」
また、宇宙船同士のドッキングに初成功したのは1966年3月16日。
のちに、人類初の月面着陸に成功するニール・アームストロング飛行士の操縦で、ジェミニ8号が無人の衛星アジェナ8号にドッキングを成功させています。

「Copyright ©:NASA STI Program All rights reserved.」

【1969年7月】人類初月面着陸成功<

これは誰もが知る人類初の偉業・月面着陸。
初めて人工衛星の打ち上げに成功してからわずか12年足らずで、人類は月に到達し月面に降り立ちます。
1969年7月20日。3人の宇宙飛行士を乗せた「アポロ11号」は、月周回軌道で司令船・コロンビアにコリンズ操縦士を残し、アームストロング船長とオルドリン操縦士は月着陸船イーグルに乗り月面へ降下。
途中トラブルはありましたが何とか乗り切り、無事に月の平地「静かの海」に降り立ちます。
この時の状況は全世界に生放送で中継され全世界が歓喜に湧き、絶叫の渦に巻き込んだ史上初の月面着陸は、月面に滞在した時間は21時間30分でした。

「Copyright ©:JAXA宇宙航空研究開発機構 All rights reserved.」
なお、アポロ11号の月面着陸以降、アポロ計画は17号(1972年12月)まで続き合計12名の宇宙飛行士が月面の地を踏んでいます。
・参考動画:【月面ローバーで活動するアポロ15号
・参考動画:【月面最後のミッションアポロ17号

【1971年4月】世界初の宇宙ステーション「サリュート」

アメリカに月面着陸の先を越された旧ソ連は、宇宙に長期滞在することを目的とした、宇宙ステーションの開発に着手します。
そして、1971年4月。世界初の宇宙ステーション「サリュート1号」の打ち上げに成功。
このサリュートでは、宇宙空間での様々な実験や無重力環境が人体に与える影響の調査が行われ、サリュート7号まで通算24名が宇宙ステーションに滞在しました。
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「Image Credit:旧ソ連「サリュート計画」(JAXA宇宙情報センター)より」
サリュートは、地上で建造されて打ち上げられたため、規模としてはかなり小規模。
全長が16メートル、全幅が5メートルほどで、このステーションにソユーズ宇宙船でドッキングして宇宙飛行士が乗り込み、長期間滞在を行っていました。

【1973年5月】アメリカ初の宇宙ステーション「スカイラブ」

アポロ計画で大成功をおさめたアメリカが、次に目指すのは宇宙ステーション計画。
「スカイラブ計画」がそれで、1973年5月~1974年2月までの約1年間。3度に渡り計9名の宇宙飛行士が滞在し宇宙空間での実験を行いました。
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「Image Credit:アメリカ初の宇宙ステーション「スカイラブ」(Wikipedia)より」
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【1981年4月】宇宙開発新時代へ「スペース・シャトル計画」始動!

アポロ計画以降、宇宙開発では旧ソ連を抜き、完全に主導権を握ったアメリカは、次なる宇宙開発を実施します。
それが「スペース・シャトル計画」。
スペース・シャトルは、これまで、非常にコストのかかった1回の打ち上げで使い切り型のロケットとは違い、何度も再使用が出来る”低コスト型”の新型ロケットとして開発されました。
この新型ロケットの特徴は、有人宇宙船である航空機型のオービターと、両サイドに取り付けられたロケットブースターは再利用が出来るというモノ。
つまり、地上と宇宙を何度も往復出来るという、画期的なコンセプトのもと開発され、人類の本格的宇宙進出を期待させるロケットとして注目されました。
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「Image Credit:スペースシャトル打ち上げシーン(JAXA宇宙情報センター)より」
・参考動画:【スペース・シャトル「コロンビア」ランディングシーン
1981年~2011年まで、計6機の機体が建造され、総日数約1,330日間運用されたスペース・シャトルですが、老朽化やコスト削減を目指して運用されたにも関わらず、多大な費用がかかったこと、さらには安全性の問題もあり、今後の計画は中止。惜しまれつつも、宇宙開発の一時代を飾ったスペース・シャトルは退役することとなりました。

中止されたもうひとつのスペース・シャトル計画とは?

実は旧ソ連にも、スペース・シャトル計画があったことをご存じでしょうか?
それが「ブラン計画」というもので、アメリカのスペース。シャトル計画に少し遅れて、ミッションはスタートしています。
ブラン計画で開発された機体は、アメリカのスペースシャトルと酷似していて、初飛行は1988年11月。
このときは無人で約3時間半で地球を周回し成功をしています。

「Image Credit:旧ソ連製スペース・シャトル「ブラン」(Wikipediaより)」
しかし、1991年のソビエト連邦の崩壊によってブラン計画も中止に追い込まれていまします。
もし、中止とならなければ、1992年には有人で宇宙飛行を行い、その後はスペースシャトルと同じように、地上と宇宙を往復するミッションに使用されていたのではないでしょうか?
ソ連がロシアになった今、ブラン計画の再始動の動きもなく、このまま闇に埋もれてしまうことは確実のようです。
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【1986年2月】アメリカ・ロシアの国際協力「ミール計画」

これまで宇宙開発で争っていたアメリカと旧ソ連が、国際協力したことでも知られる「ミール計画」。
当初は、1986年にソ連独自で計画が実行されますが、ソ連崩壊後にアメリカと協力。
サリュートの後継機である「ミール」宇宙ステーションに、アメリカのスペース・シャトル、ロシアのソユーズがドッキングして訪れるといったミッションが行われ、両国の宇宙飛行士たちがミール内での長期滞在を2001年まで行っています。
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「Image Credit:宇宙ステーション「ミール」(Wikipedia)より」

【1998年11月】本格的な国際宇宙ステーション建設開始

アメリカは、スペース・シャトルの運用が軌道にのった1990年代、日本やカナダ、欧州宇宙機関 (ESA)等と協力して、国際宇宙ステーション(ISS)の建設に着手します。
ISSは、地上から約400キロの軌道上に建設され、全幅が108.5メートル、全高が20メートルといった、サッカーコート一面分ほどの巨大な有人施設です。
1998年11月から、主にスペースシャトルを用いて地上から資材を運び建設。約12年の歳月をかけて2011年7月に完成しました。
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「Image Credit:ISS国際宇宙ステーション(Wikipedia)より」
ISSには、常時3~6名の宇宙飛行士が滞在しており、約半年クールで交代を行い、日本人宇宙飛行士も複数人滞在しています。
当初、ISSの運用期間は5年ほどだったのですが、運用予定が大幅に伸び、2020年代中盤まで延長される予定になっています。

【2003年10月】中国も有人宇宙飛行に成功

宇宙開発はアメリカやロシアが行っていると思われがちですが、20世紀後半から大国の仲間入りをして来た中国も独自で宇宙開発を行っています。
中国は、2003年10月、空軍の楊利偉(ヤン・リィウェイ)中佐を乗せた「神舟5号」の打ち上げに成功。
・参考動画:【中国初の有人宇宙飛行ミッション「神舟5号」
このときの「神舟5号」は、高度343キロまで達し地球を14周周回しています。
その後の中国は、さらに開発を進め宇宙ステーションの建設にも着手、2016年にはその試験機の打ち上げにも成功しています。
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