2018年に放送された大河ドラマの「西郷どんブーム」も過ぎ去り、幕末・明治維新好きの人たちにとっては少し寂しい事かも知れません。
私も幕末・明治維新好きの一人ですので、「西郷どん」は個人的にはなかなか面白い歴史ドラマだったという感想なのですが、ネットでは結構賛否が分かれているようですね。

まぁそれはともかくとして、この天文系のサイトで何故「西郷どん~西郷隆盛」を取り上げるのか?変に思えるかも知れませんが、このドラマの最終回で「西郷星」が取り上げられた事で気になり、今回は「西郷どん」をテーマにしてみたいと思った次第です。
ドラマを観ていた方は覚えているかも知れませんが亡くなって星になったと言われている西郷どん。実はその星(西郷星)の正体は、当時地球に大接近した火星の事だったそうです。

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大河ドラマ「西郷どん」おさらい~西郷隆盛の生涯

おそらくは、日本人なら誰もが名前を知っているであろう明治維新の立役者・西郷隆盛

「Image Credit:東京・上野の西郷像(左)と鹿児島市の西郷像(右)(Wikipediaより)」
西郷隆盛は江戸幕府末期、今の鹿児島県である薩摩で下級藩士として生まれ、25歳の時に藩主の島津斉彬に見出された事をきっかけに薩摩を代表するリーダーとして幕末の荒波に乗り込んで行きます。

彼の主な功績は、幕府から政権を奪うために長州(今の山口県)と手を組んだ薩長同盟をはじめ、幕府が政権を朝廷に返上した大政奉還後、王政復古の大号令を出し討幕を実現。
明治新政府では廃藩置県の行政改革、学校制度の整備など大きく明治維新に貢献しています。

その後は新政府との意見の食い違いで故郷・鹿児島に戻るも、新政府に不満を持つ士族に駆り出され、新政府と対立する内戦(西南戦争)の抵抗勢力側指導者として戦う事になります。
しかし、政府軍との圧倒的な武力差で、わずか半年で西郷軍は敗北。
西郷自身も故郷・鹿児島の地で戦闘の末に銃弾を受け、その後、自害し49歳の若さで生涯を終えています。

西郷隆盛が生涯を終えた直後に出現した明るく輝く赤い星

「西郷どん」こと西郷隆盛が自害し生涯を終えたのは1877年9月24日でした。
実はこのときの9月上旬に、火星が地球に約5,630万キロという距離まで大接近していた事はあまり語られていませんので、ご存じでない方も多いのではないでしょうか?

「Image Credit:1877年9月24日午前0時の鹿児島の星空(AstroArtsより)」
人望も厚く、人々に慕われていた西郷どん。
当時の人々は西郷さんが亡くなった同時期に出現した明るく輝く赤い星・火星に彼の面影を抱き、「西郷どんが星になった。」と騒ぎ、このとき出現した火星の大接近を西郷星と名付けたと言われています。

「Image Credit:西郷星を描いた当時の錦絵(太田記念美術館 Twitterより)」
ちなみに当時(上画像の星空参照)土星も火星に接近(見た目上の接近)しており、火星の近くで明るく輝く土星を西郷どんの側近だった桐野利秋(中村半次郎)に因んで「桐野星」と呼んだそうです。

西郷星はどのように見えたのか?

天文ファンの方ならこの「西郷星」が現在でいうところのスーパーマーズである事は察しが付くかと思います。
スーパーマーズは、火星が地球に大接近する事で通常より大きく明るく見える現象の事を言いますが、そもそも火星大接近とはどういう事なのでしょうか?

地球も火星も太陽を公転する同じ惑星であり、地球は約365日で太陽を一周し、地球の外側を公転する火星は約687日で太陽を一周しています。
つまり、外側を公転する火星より地球の方が公転周期が速いワケで、この公転サイクルで約780日(約2年2カ月)毎で地球は火星の公転に追いつきます。

地球が火星に追いつくとき、地球と火星の距離が最大限に近づく。これが火星大接近~スーパーマーズとなるワケです。

「Image Credit:自然科学研究機構 国立天文台
では、当時の西郷星はどのように見えたのでしょうか?
そのときとほぼ同じ状況だったのが2018年に出現したスーパーマーズが参考になり、西郷どんが亡くなった1877年のスーパーマーズが地球との距離約5,630万キロで、2018年7月31日に見る事が出来たスーパーマーズが、地球との距離約5,759万キロとかなり肉薄している事がわかるか?と思います。
つまり2018年は当時(1877年)と、ほぼ同じ大きさ明るさでスーパーマーズを見ることが出来たハズなのです。

「Copyright ©:国立天文台 All rights reserved.」

次の西郷星はいつ見れるのか?

約2年2カ月毎に地球と火星は大接近します。
ということは、西郷星も2年2カ月毎に見れるという事になりますが、次の西郷星~スーパーマーズはいつ見る事が出来るのでしょうか?

これについては、地球と火星の接近距離に誤差がありますので、必ずしも2年2カ月毎に当時と同じような明るく大きな西郷星が見られるワケではありません。
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地球と火星の距離も近いか遠いかで、どれくらいの好機が訪れるか?
2020年から2035年までの15年間における、火星が最接近する日が公開されていましたのでご紹介します。

【2020年~2035年までの火星最接近年表】
火星最接近日 視直径
2020年10月6日 22.6°
2022年12月1日 17.2°
2025年1月12日 14.6°
2027年2月20日 13.8°
2029年3月29日 14.5°
2031年5月12日 16.9°
2033年7月5日 22.1°
2035年9月11日 24.6°
この火星最接近の年表を見ると、スーパーマーズとして最も明るい次の「西郷星」が見れるのは2035年のようです。

ちなみに、このときの視直径は24.6°。これを光度で表すとマイナス2.9等級ほどの明るさになります。

星に関係するもう一人の幕末の英雄

実は西郷どんのほかに、星と関係の深い?幕末の英雄がもう一人います。
それが誰もが知る坂本龍馬、その人です。

「Image Credit:坂本龍馬の肖像画(Wikipediaより)」
坂本龍馬は、西郷どんのように亡くなった後に星になったとして惜しまれたのではなく、彼の場合は生誕が星と関係があるのだと言います。
では、その星とは何なのでしょうか?

それは、ハレー彗星との関係です。

坂本龍馬が生まれたのは1835年11月15日。
奇しくも、この翌日の1835年11月16日にハレー彗星が近日点に到達したとの記録があります。

「Image Credit:1910年に撮影されたハレー彗星(Wikipediaより)」
つまり、龍馬が生まれたとき天空には長い光の尾を引くハレー彗星が輝いていたモノと思われます。
この事から、ハレー彗星が天空を駆ける龍や天馬に見えた事から「龍馬」の名前が付けられたとの話もありますが、残念ながらそれは定かではありません。

しかし、これには誤差があり、ハレー彗星が近日点を迎えた1835年11月16日は陽暦。
坂本龍馬の誕生日を陽暦に直すと1836年1月3日となり、かなりの誤差となってしまいますが、いずれにせよ、坂本龍馬が生まれたときにハレー彗星がやって来たのは事実ですので、もしかしたら本当にハレー彗星と龍馬の名前は何か関係があるのかも知れませんね?!
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