ユーリイ・ガガーリンと言えば、人類初の宇宙飛行士であり、108分間宇宙を飛び、有人宇宙飛行を初めて成功させた人物です。
そして彼が宇宙に行ったとき「地球は青かった」という名言を残していることも有名です。
しかし彼の宇宙飛行に対し、様々なウワサや疑問ものちに発生し、何故彼が人類初の宇宙飛行士に選ばれたのか?さらには、偉業を成し遂げた人物だからこその波乱の人生も話題になっています。

今回はこの英雄・ガガーリンについて取り上げたいと思います。

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ガガーリンのプロフィール

本名はユーリイ・アレクセーエヴィチ・ガガーリン。
1934年3月9日。旧ソビエト連邦のスモレンスク州クルシノ村で、4人兄弟の3人目として生を受けます。
彼が軍人になるため空軍士官学校に入ったのが終戦後の1955年。その2年後の1957年に結婚。
ここまでは順調と言える人生を送って来たガガーリンですが、軍に入ったことで彼はソ連とアメリカの熾烈な宇宙開発競争に巻き込まれて行くことになります。
◆『参考動画:映画「ガガーリン 世界を変えた108分」(2014年)』

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ガガーリンは何故人類初の宇宙飛行士に選ばれたのか?

人類初の人工衛星打ち上げ成功したのが旧ソビエト連邦で、1957年にスプートニク1号が打ち上げられています。
そしてソ連に遅れる事1年。翌年の1958年には、アメリカがエクスプローラー1号打ち上げに成功しています。

「Image Credit:JAXA宇宙情報センター
この人工衛星打ち上げ成功を皮切りに、当時2つ大国として冷戦状態にあったソ連、アメリカ両国の宇宙開発が激化し、どちらの国が先に有人宇宙飛行を成功させられるかということで争っていました。
そんな競争激化の中、急ピッチで進んだロケット開発は、当時の技術ではかなり厳しい試みでした。

ソ連とアメリカの宇宙開発競争の中で、ソ連における人類初の宇宙飛行士として白羽の矢が立ったのがガガーリンです。
実は、彼を含め宇宙飛行士候補生は20人いましたが、その中から選ばれたのがガガーリンだったワケで、彼が選ばれた最大の理由は彼の小柄な体格でした。
当時の宇宙船は1人乗りでかなり狭く、大柄な人間が乗り込むには厳しかったため、身長が158センチのガガーリンの体格が丁度良く、それで選ばれたと言われています。
また選ばれた理由は他にもあり、彼は人柄も温厚で常に笑顔が絶えない人物だったのも要因だったと言われています。
さらに、労働者階級出身であることと、ファーストネームが一般的なロシア人男性の名前「ユーリイ」であったことが、ソ連の英雄に祭り上げるのには彼がうってつけの人材だったとも言われています。
ちなみに、ガガーリンは宇宙飛行士に選ばれたことで階級が少佐に昇進し、有人飛行を成功させ無事帰還したことで大佐まで昇進しています。
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初の宇宙飛行の真実

ガガーリン少佐が有人ロケット・ボストーク1号に登場し宇宙に向かったのが1961年4月。
このとき、ボストーク1号は108分で地球を1周周回していますが、これは弾道飛行で地球の周回軌道に乗ったワケではありません。
なお、弾道飛行時の最高高度は約300キロということです。
またガガーリンが宇宙を飛行中に言ったとされる名言「地球は青かった」。
この言葉も実際に彼は言っておらず、宇宙から見た地球の美しい光景を長いセリフで詳細に語っていたため、短く編集されてこの言葉が定着したと言われています。

英雄地球帰還後の数奇な運命

ガガーリンは27歳で宇宙に行き、その後34歳の若さでこの世を去っています。
彼は、宇宙飛行を成功させたことで、一躍”時の人”となり世界中で有名になりました。
当時のソ連もまた、彼を国家の宇宙開発の広告塔として世界中に宣伝しています。
この事で、ある意味見世物となってしまった彼は、精神を病んでしまい酒に溺れるようになります。
そして1968年3月にミグ戦闘機で飛行中に墜落し、そのまま帰らぬ人となってしまったガガーリン。
この墜落は事故として処理されましたが、政治的思惑のある陰謀説もウワサされましたが、その証拠は見つかっていないため未だ不明です。
宇宙に行ったことで人生が大きく変わったとも言えるガガーリンですが、それでも彼は偉業を成し遂げた人類史に残る英雄であることは間違いありません。

「モスクワ・レーニン通りのガガーリン像」
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